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「これ程すばらしいものはない-世界最良のオーケストラに支えられた世界最良のダンサーたち。すごい!」

「・・・こんな見事なサウンドは、これまで聴いたことがない」


「一言で言うなら、現在世界最良のオーケストラだ」

ピーター・マックスウェル


「まさに驚くべき音楽だ。ブラックプールに来るようになって何年にもなるが、このオーケストラは、他のものとは全く比べ物にならないくらい素晴らしい」

ケニー・ウェルシュ

 

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紹介

それぞれのボックスをスクロールしてください。各人の経歴が現れます。


アシュリー・フローリック                 音楽監督

ashley frohlickアシュリーはブラックプールに生まれ、北イングランドの小さな炭鉱の町ウィガンで育ちました。12歳の時、授業をさぼるために週に1時間練習を始めたトランペットでしたが、自分でも驚いたことに、練習は案外楽しいものでした。

練習を始めてから2年後に、ウィガンの青少年ジャズ・オーケストラに入り、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで初めてのコンサートを経験しました。その後、ナショナル青少年ジャズ・オーケストラに入り、スペインをツアーするばかりでなく、ジョン・ウィリアムズとアルバムの制作も行いました。

17歳の時、(本人が知らないうちに)アシュリーはラジオ2ビッグバンド大会(英国の優秀な演奏家を見つけるため、BBCが催す大会)に出場することになり、皆の羨望の的「ソロイスト・オブ・ザ・イヤー(今年の最優秀ソロイスト)」賞を受賞しました。その後、欧州各国、香港、日本のツアーを終え、リーズ音楽大学で「ジャズ、現代音楽研究」の勉強を始めました。

アシュリーは、世界各国で多様なジャンルのバンドやオーケストラと一緒に、ラジオやテレビ、ショー、映画、DVDそしてアルバムの仕事をしました。広範囲にわたる経歴の中で特に強く記憶に残っているのは、英国女王陛下、フィリップ殿下、チャールズ皇太子、ダイアナ妃、フランク・シナトラ、デイム・シャーリー・バッシー、トニー・ベネット、サー・トム・ジョーンズ、ステファン・グラッペリ、ナイジェル・ケネディー、ジャック・ジョーンズ、サー・エルトン・ジョン等のための演奏でした。

アシュリーはまた、シド・ローレンス・オーケストラ、フランシー・ボーランド・ビッグバンド、グレン・ミラー・オーケストラUK、ドリフターズ、コミュナーズ等の世界中のバンドやオーケストラとも一緒に演奏をしてきました。他にも、パサディナ・ルーフ・オーケストラと欧州ツアーをし、ベルギーでは、1時間の特別テレビ番組で演奏もしました。

アシュリーは、多くのテレビ番組にも出演し、英国の国宝ブルース・フォーサイス、レズ・ドーソン、フィリップ・スコフィールド、ジョー・パスカール、サー・マイケル・パーキンソンなどとも共演しています。エンプレス・オーケストラとエンプレス・ダンス・バンドは(アシュリーが率いる元で)、BBC、グラナダ・テレビジョン、ITV、チャンネル4、シービービーズ、RTL、スカイ・ワンのために録画された番組にも登場しています。

過去何年にもわたり、アシュリーはモンテ・カルロとフロリダで生活し、仕事をしてきましたが、ぐるっと一周しブラックプールの郊外に戻ってきました。そこで、スザンヌ(すばらしいダンサー)に巡り合い、今では、2人の間にはジョディとイーサンという2人の子供がいます。

家族と過ごすためにツアーを削った結果、ブラックプールのタワー・ボールルームで11年間に渡り様々なバンドやオーケストラの一員としてトランペットを演奏することになりました。またこの間に共演したオーケストラのうち5団の音楽監督、音楽助監督も務めました。

1996年、アシュリーはアーウィン・ティズウェル・オーケストラにトランペット奏者として入団しましたが、2002年にアーウィンが引退すると、レジャー・パークスと(当時の)フェスティバル主催者ジリアン・マッケンジーに、ブラックプール・ダンス・フェスティバルの音楽監督としての役割を担ってもらえないかと依頼されました。

2004年、アシュリーはレジャー・パークスに、世界的に有名なブラックプールのタワー・ボールルームでのダンス用に音楽を提供することを頼まれました。そこでは、これまで4年間、エンプレス・オーケストラと7人編成のエンプレス・ダンス・バンドが、見事な演奏で成功を収めていました。

アシュリーは、ヒットチャートにのったCD(未発売)何枚かでトランペットを演奏しています。また、プラチナム賞を受賞したシンガー・ソング・ライター、リック・ガードの最近のアルバム『エニワン・バット・ミー(僕以外の誰でも)』でも、アシュリーのトランペット・ソロを聴くことが出来ます。

最近、エンプレス・オーケストラの初アルバム『オールウェイズ・アンド・フォーエバー(いつも永遠に)』の音楽のほとんどを作曲、編曲したアシュリーは、自分の時間の大部分を家族のため、そしてエンプレス・オーケストラのための新しい音楽、題材を創るために費やしています。

 

ダニー・ハマートン                         第1トランペット

danny hammertonバーンズリー近郊のダーフィールドで生まれたダニーは、マルチ奏者で、オーケストラの全セクションの楽器をプロのレベルで演奏することが出来ます。ダニーの音楽の旅は、6歳でピアノとバイオリンを習い始めたときに始まり、13歳になるとそれに加えてトランペットも習い始めました。その後、リーズ音楽大学で勉強する傍ら、トロンボーンとそれに引き続きサクソフォーンも楽器のレパートリーに加えていきました。

ダニーは、パサディナ・ルーフ・オーケストラの一員として、8年間アメリカと欧州各国をツアーしました。その間、いくつもの編曲を手がけるだけでなく、『コメディアン・ハーモニスツ』という映画のサウンドトラックなどにもフィーチャーされました。

パサディナ・ルーフ・オーケストラを退団して以来、ダニーは色々なバンドやオーケストラと世界ツアーに出ました。今では特に、グレン・ミラー・オーケストラUKとそのボーカル・グループ『ムーンライト・セレナーダーズ』の一員として知られています。
パサディナ・ルーフ・オーケストラを退団して以来、ダニーは色々なバンドやオーケストラと世界ツアーに出ました。今では特に、グレン・ミラー・オーケストラUKとそのボーカル・グループ『ムーンライト・セレナーダーズ』の一員として知られています。

ダニーがエンプレス・オーケストラと共演を始めたのは2005年以来、その音楽性、表現力そして活力は、オーケストラの金管セクションを強く押し出し、ここぞと言うときにエキサイティングな効果を見せる力となっています。

 

 デイブ・ヒッチェン                           第2トランペット

dave hitchenデイビッドは、ランカシャー州アプリー・ブリッジで育ち、10歳でトランペットを吹き始めました。数年間勉強した後、地元の練習用バンドやオーケストラで演奏をしました。中でも有名なのは、ウィガン青少年ジャズ・オーケストラです。デイビッドの演奏力はみるみる上達し、直にナショナル青少年ジャズ・オーケストラでレギュラーとして演奏するようになりました。ナショナル青少年ジャズ・オーケストラで演奏する傍ら、世界最高のトランペット奏者ボビー・シューに個人的に師事すると同時にリーズ音楽大学での勉強も続けました。

1993年に大学を卒業すると、デイビッドは2年間、モンテ・カルロのロウズ・ホテル、『ロック・アンド・ポップ賞』で有名なスポーティング・クラブで演奏した後、転職して、ロイヤル・カリビアン・クルーズ・ラインで、トランペット奏者そしてバンドリーダーとして活躍しました。その6年の間に、今の妻ダニエルに出会い、2001年には英国に戻り落ち着くことにしました。デイビッドはこれまでに、色々なジャンルの様々なアーティストと共演しました。数例を挙げれば、バリー・ホワイト、ドリフターズ、ジョージー・フェイム、プラターズ、ピーター・ヌーン、シャーリー・バッシーなどです。

初恋の相手がジャズだったというデイビッドは、これまでに、ケニー・ベイカー、マリオン・モンゴメリー、ドン・ラッシャー、ボビー・シュー、メイナード・ファーガソン、ドン・レイダーそしてフィル・ウッズなど、この分野の大勢のスターと共演をしています。

デイビッドは、2003年にエンプレス・オーケストラの団員となり、オーケストラがフェスティバルで演奏する時には、南フランスのモンペリエの近くにある自宅から駆けつけてくるのです。

 

ニール・シャットリフ                        第3トランペット

neil shatliffニールは、1970年にオールダムに生まれ、6歳のときに、父親がドラムを演奏していた教会付属の吹奏楽団の指揮者から、コルネットを習い始めました。2年後、ジュニア・エキシビション奨学金をもらい、北マンチェスター音楽センターで上級指導を受けることになりました。そこで、様々な音楽スタイルに出会い、吹奏楽団、コンサートバンド、シンフォニー・オーケストラそしてビッグバンドに入団しました。 

14歳で、ブリティッシュ・エアロスペース(ニュートン・ヒース)吹奏楽団にリピアノ・コルネット奏者として入団し、同じ頃、地元の劇団のために音楽演奏も始めました。その後たった1年で、ニールは、マンチェスター青少年オーケストラの第1トランペット奏者となり、サー・チャールズ・グローブズやサー・マルコム・アーノルド等の指揮者を迎えて、世界ツアーをしていました。オーケストラの団員だった4年間で最高の思い出は、『ゾディアック・オブ・エンジェルズ』というマイケル・ギャリックのジャズ6重奏団とオーケストラのためのシンフォニーの世界プレミアを、女王陛下とフィリップ殿下の前で演奏したことです。  

ニールはこれまでに、グレン・ミラー・オーケストラUKとニュー・スクゥオドロネアーズと共に演奏したことがあります。また、マイ・フェア・レディーでは、クリストファー・カザノフ、エイミー・ナトール、オナー・ブラックマンと共演したり、英国のギャング映画『ショーディッチ』にも出演、そしてサー・エルトン・ジョン監督のサウンドトラックでは演奏家としても貢献しました。

2004年にエンプレス・オーケストラに入団したニールは、過去2年に渡り、私たちと全ての仕事を共にしてきました。ニールは現在、パートナーのアン・マリー、それから2人の息子マットとマイルズと一緒に、ブラックプールの郊外に住んでいます.

       

 リー・ハラム                                  第1トロンボーン

lee hallamリーは1977年に生まれ、10歳の時から地元シェフィールドの『少年隊』本部で様々な金管楽器を試してみました。15歳の時にトロンボーンを選び、できるだけ多くの地元の青少年音楽団に参加すると同時に、本格的にレッスンも受け始めました。中でも特にリーの将来を形成することになったのは、シェフィールド青少年吹奏楽団、シェフィールド青少年オーケストラ、地元のリハーサルバンド、そして、1990~1995年に英国選手権大会に出場した、ドラムとビューグルのマーチング隊『コンコード』で演奏していた年月でした。

この「大活躍」時代から、リーの進歩は目ざましく、「アーチャー奨学金」を受けロンドンのトリニティー音楽院で、あの偉大なボビー・ラムに師事し、2005年にはロサンゼルスでIAJE(国際ジャズ教育者協会)の殊勲賞を受賞しました。

長い音楽生活の中で、リーは、ダイアン・キャロル、ジョー・ロングソーン、ジョン・ダンクワース、クレオ・レーン、ジョージー・フェイム、ダイアン・シューアなどの国内外のアーティストと共演を続け、『イングリッシュ・スリー・テナーズ』から『ラット・パック』まで様々な演奏をこなしました。そして、デビー・カーティス・ラジオ・ビッグバンド、アンディ・プライアー・ビッグバンド、ニック・ロス・オーケストラ、グレン・ミラー・オーケストラUK等とも共演しました。

リーは2005年に、エンプレス・オーケストラにリード・トロンボーンとして入団して以来、グラナダ、ITV、BBC、RTL、20世紀フォックスの番組に出演しました。現在リーは、サルフォード大学でトロンボーン講師として働き、シェフィールドの自宅の近くで「ジャズ・アット・ザ・ピクチャー・ハウス」を経営しています。

 

 デイブ・ピアース                            第2トロンボーン

dave pearce - trombone

ノッティンガムに生まれたデイビッドは、14歳でビッグバンド時代の音楽、特にグレン・ミラーの音楽を聴き、トロンボーンを始めました。

シックス・フォーム・カレッジでもトロンボーンの勉強を続け、クリス・ディーン(現在シド・ローレンス・オーケストラのリーダー)と故ドン・ラッシャー OBE (テッド・ヒースのリード・トロンボーン奏者)からレッスンを受けました。カレッジ時代、デイビッドは地元のビッグバンドと一緒に演奏するようになり、グレン・ミラーの甥ジョン・ミラーが監督を務めるハーブ・ミラー・オーケストラととも共演しました。

2002~2006年の間、デイビッドは王立北音楽大学 (RNCM) で学びましたが、その最初の年に、名誉ある即興ジャズの「スタン・バーカー記念賞」を受賞しました。同大学就学中、デイビッドは、シンフォニー・オーケストラ、室内楽団、オペラ・オーケストラ、管楽オーケストラ、吹奏楽団、金管アンサンブル、そして多くのツアー・ジャズミュージシャンを迎える RNCMビッグバンドなど、様々なスタイルの音楽を演奏しました。

その後、ハレ管弦楽団のバス・トロンボーン奏者エイドリアン・モリスからレッスンを受けるようになり、2006年にはハレと共演することを依頼されました。その同年に、デイビッドは、王立北音楽大学から音楽学士号を与えられ、卒業しました。

デイビッドは音楽大学での最終年の夏のブラックプール・タワー・シーズンに、エンプレス・オーケストラ、エンプレス・ダンス・バンドと一緒に演奏するようになりました。それ以来、ニック・ロス・オーケストラ、グレン・ミラー・オーケストラUK,デビー・カーティス・ラジオ・ビッグバンド、(仏)グレン・ミラー記念オーケストラなど、全英そして欧州からの数多くのバンドと共演しました。『ラット・パック-ラスベガス・ライブ』でも演奏し、『ラット・パック』ショーのドイツツアーにも参加しました。

 

ナイジェル・ヘイルウッド                  第1アルトサクソフォーン

nigel hailwood

ナイジェルは、ランカシャー州のリーで生まれ、サックスやその他の管楽器を習うようになったのは、思春期に入ってからのことでした。が、ものの1年もしないうちに、地元のリハーサル・バンドと一緒に演奏するようになり、それに続き、ウィガン青少年ジャズ・オーケストラのアルバム録音にも参加しました。楽器を習い始めてから3年後には、ナイジェルは、QE2の船上でプロとして音楽に携わっていました。その後故郷に戻り、サルフォード大学、リーズ音楽大学で学び、再度、海に戻り、多くのクルーズ・ライナー上で演奏するようになりました。

ナイジェルの演奏は、絶えずひっぱりだこで、エンプレス・オーケストラの多くの団員のように、広範囲にわたる経歴をもっています。これまでに何人もの世界最良のエンターテーナーと、異なるジャンルの音楽で共演をしてきましたが、ナイジェルが情熱を注ぐのはビッグバンドの音楽です。共演者の長いリストから数例を挙げるとすると、ボブ・ホープ、ニール・セダカ、ケビン・スペイシー、ジャック・ジョーンズ、スティーブン・ソンドハイムなどがいます。

これまでに共演したアンサンブルには、シド・ローレンス・オーケストラ、バック・トゥ・ベイシー、エコーズ・オブ・エリントン、パサディナ・ルーフ・オーケストラ、ロニー・スコット・ビッグバンドなどがあります。

ナイジェルには、自分の物と言える劇場作品が20点以上もあります。大好評だったウエスト・エンドの『ラット・パック-ラスベガス・ライブ』で、4年間、リード・アルトサクソフォーンを務めました。また、ハムレットの舞台上にタイツ姿で現れたり(目の毒)、オリヴィエ賞の授賞式で演奏をしたこともあります。

ナイジェルはまた、数多くの映画のサウンドトラックでも演奏をしています。例えば、リアム・ニーソン、ジョン・マルコビッチ、マイケル・ダグラス、ロイ・シュナイダー、メラニー・グリフィス、サー・ジョン・ギールグッドなどが主演する映画です。また、ハリー・ポッターの『謎のプリンス』でも、ナイジェルの演奏を聴くことが出来ます。

2002年に、リード・アルトサクソフォーンとしてオーケストラに入団し、ナイジェルはサクソフォーン・セクションに大きな影響を及ぼしました。今でも非常に忙しく、ひっぱりだこの音楽家であるナイジェルは、イングランド南部に、妻と娘と一緒に暮らしています。

 

 アンディ・ハンター                          第2アルトサクソフォーン

andy hunter - altoアンディはもともと、ランカシャー州チョーリーの出身で、子供の頃は、ピアノ、クラリネットそしてサクソフォーンを習っていました。18歳の時、「クラッシック」クラリネットでトリニティ・カレッジ・ロンドンのパフォーマンス・ディプロマを取り、その後、リーズ音楽大学で「ジャズ、現代音楽」を学びました。

アンディはそれから、カリブ海のクルーズ船上で演奏するようになりましたが、その頃から、広範囲にわたる音楽分野で活躍してきました。米国制作の『ウエスト・サイド物語』の世界ツアーや、『ああ無情』、『フォーティセカンド・ストリート』、『ラット・パック』のようなウエスト・エンド・ショーの英国、欧州ツアーも経験しました。

他にも、ジャック・ジョーンズ、ジーン・ピットニー、マイケル・ボール、ウェイン・スリープ、ローナ・ラフト、アル・マルティーノとも共演しています。アンディは、大人気の演奏家で、チャーリー・バーロー・オーケストラ、パサディナ・ルーフ・オーケストラ、アンディ・プライアー・オーケストラ、テッド・ヒース(トリビュート)・オーケストラ等の様々なバンド、オーケストラと一緒に演奏をしています。

何年も前に音楽活動をしばらく休むことにしたアンディは、その間に土木工学の学位を取得し、橋梁技術コンサルタントとしても成功を収めました。が、私たちにとってはラッキーなことに、アンディはまたフルタイムで音楽演奏を始め、2005年にエンプレス・オーケストラ、エンプレス・ダンス・バンドに入団しました。

 

 マイク・ホープ                                第1テナーサクソフォーン

mike hopeウィゼンショーに生まれ、現在はローテンストールに住むマイクは、10歳でアルトサクソフォーンを吹き始め、その2年後にはクラリネットも習い始めました。その後もリーズ音楽大学で音楽の勉強を続けながら、テナーサクソフォーンとフルートも始め、演奏を専門とした音楽修士号を取得しました。そのために、北テキサス大学で1年間、ハリー・コニックのサクソフォーン奏者の元でジャズを学びました。 

1996年、マイクはノーザン・ジャズ・ミュージシャン・オブ・ザ・イヤーに選ばれ、ロンドンでの決勝大会に出場しました。その後、自分のバンド、マイク・ホープス・ジャズマフートと結成し、オリジナルの音楽を作曲・録音するようになりました。 

以来、マイクの音楽活動は、ジャズ、ラテン、ビッグバンド、ポップ、軽音楽と広い範囲に渡っています。『ラット・パック』のショーでは、4年間、ヘイマーケットとサボイの劇場で演奏をしました。マイクにとって当時の最高の思い出は、オリヴィエ賞の授賞式でケビン・スペイシーに、ジュディ・デンチに『アイブ・ガット・ア・クラッシュ・オン・ユー』を歌うときの演奏を依頼されたことです。  

マイクは現在、大人気のミュージシャンで、米国や欧州でも演奏をしています。近年、ジャック・ジョーンズ、マット・モンロー・ジュニア、ジョン・ウィルソン、ハレ管弦楽団と共演し、シド・ローレンス・オーケストラの団員でもあります。マイクがエンプレス・オーケストラに入団したのは2004年のことでした。その時、ブラックプール・ダンス・フェスティバルの夜の部の終わりに演奏したソロが、世界ダンス会最高峰の人たちから大喝采を受けました。

 

 エイドリアン・ウィルキンソン           第2テナーサクソフォーン

adrian wilkinson biogエイドリアンはランカスターに生まれ、9歳でクラリネットを始めました。その後サクソフォーンを習い始め、直に地元のダンス・バンドに入って演奏を始めました。後に、リーズ音楽大学で「ジャズ、現代音楽」を学び、ハダスフィールド大学では作曲で音楽修士号を取得しました。その後マンチェスターに移ったエイドリアンは、北西イングランド周辺の多くのダンス・バンドやジャズ・バンドからひっぱりだこでした。

過去10年に渡り、エイドリアンは、シド・ローレンス・オーケストラ、ブリックトップス・ジャズ・ベイブズ、ラット・パック、アンディ・プライアー、マット・モンロー・ジュニア、グレン・ミラー・オーケストラUKなどの有名なビッグバンド、ダンス・バンド、ジャズ・バンドと演奏をしてきました。ブラックプールのタワー・ボールルームでは、4季に渡り、ダンスのための音楽を演奏したエイドリアンは、ブリックトップス・ジャズ・ベイブズとツアー中、なんとニューオーリンズの名誉市民の地位も与えられました!

エイドリアンは、いくつかの映画のサウンドトラックで、サクソフォーンとクラリネットを演奏しました。また最近では、超大作映画『ブライズヘッド再訪』や『アルズ・ラッズ (Al’s Lads)』にも出演しています。

2009年にエンプレス・オーケストラに入団したエイドリアンは、一番新しい団員で、その経験やプロ意識は、優れたサクソフォーン・セクションを更にすばらしいものにしていくでしょう。

エイドリアンは、ランカシャー州のラムズボトムに、妻のエマと3人の息子トマス、オリバー、アレックスと一緒に暮らしています。

 

ピート・リングウッド                         ピアノ

pete lingwood

ピーとは、ヤーマスの近くのゴールズストーンに生まれました。父親は、ピアノやアコーディオン、サクソフォーン、クラリネット、ギターを演奏する多才な音楽家でした。まだ小さいうちにリーズに移ったピートは、5歳からピアノを習い始め、実技・理論を合わせてこれまでに16ものグレードを取得しました。

1975年、ピートは第一期生として、リーズ音楽大学で「ジャズ、軽音楽」学位コースを学び始めました。その時、第二楽器として選択したテューンド・パーカッションは、プロとしての幅広い経歴の中でも、大きな成功を収めることになりました。

ピアノ奏者としてレギュラーな仕事をしていたピートは、1977年からオーケストラが解団された1990年まで、BBCのノーザン・ラジオ・オーケストラの打楽器を担当し続けました。その後、演奏家、作曲家としての才能をその他の分野でも活躍させ、多様な興味ある経歴を形成してきました。

ピートは、カール・デイビスCBEの元で、賞を受けた子供用ドラマシリーズ『クイーンズ・ノーズ (The Queen’s Nose)』の音楽の編曲およびキーボードを2年間担当しました。また、米国の伝説的な俳優ハロルド・ロイドを描いたカールの無声映画『ザ・フレッシュマン (The Freshman)』の音楽のオーケストラ編曲も担当しました。

ピートはまた、『キャッツ』、『ジーザス・クライスト・スーパースター』、『エビータ』、『ああ無情』、『バーナム』など数多くのショーでも演奏をしています。他にも、シド・ローレンス・オーケストラ、チャールズ・バーロー・オーケストラ、ウェールズ・シンフォニー・オーケストラなどの多くのバンドやオーケストラとも共演し、音楽を録音しています。ピートは、数限りない楽器用音楽や歌を作曲しており、そのうちの何作かは、ロンドン・シンフォニー・オーケストラの主席トロンボーン奏者によって録音されました。それだけではなく、オリジナル・シングルがEMIからも出ています。

ピートは、2003年にエンプレス・オーケストラに入団し、作曲家、編曲家、演奏家そして音楽監督として大活躍を続けていますが、それだけではなく、2009年にはなんと、結婚までしてしまいました!

 

カール・バーネット                           ベース

carl barnettカールはロンドンの南東地区に生まれました。父親ハリーはギターリストで、偶然のことですが、1950年代に、アシュリーの祖父モーリス・スマートがバンドリーダーを務めるバンドで演奏をしました。カールは最初にピアノ、次にトランペット、そうしてギター、ベースギターを学びました。学校を卒業してからプロになるまでの間、カールは、クラッシック音楽出版会社ブージー&ホークスの小売部門で3年間仕事をしました。

カールの初期の経歴には、サマーシーズン、クルーズ、「メッカ」ボールルームでの常任ミュージシャン、それからエリック・ディレイニー・バンドとの1年間のツアーなどがあります。その頃からカールは、偉大なマット・モンロー、ボブ・マンクハウス、ジョー・ロングソーン、フランキ・ボーン、トニー・クリスティー、ポール・ニコラス、シーラ・ブラックの様な、お馴染みのエンターテーナーと共演してきました。

1980年代半ば、(現在の)サルフォード大学に通い始めてから、編曲や記譜に興味を持つようになり、ゴフ・リチャードやBBCのために、たくさんの記譜をしました。

その頃から今まで、カールは幅広い音楽活動を続けています。英国各地の劇場や、バンドリーダーのレイ・マックベイと一緒に世界的に有名なブラックプール・タワー・ボールルームで3年連続で演奏したり、テンプテーションズ、ミラクルズ、コントゥアーズ、キム・ウェストン、プラターズ、ドリフターズなどの米ソウル・アーティストの演奏者、音楽監督として活躍してきました。

仕事に忙しいカールですが、この他に、サルフォード大学でベース・ギターの講師も務めています。

カールは2004年にエンプレス・オーケストラに入団し、それまでのオーケストラのレパートリーに加えて、「新しい」アレンジを追加してきました。そのうちの何曲かは、アルバム『オールウェイズ・アンド・フォーエバー(いつも永遠に)』に収録されています。カールはまた、踊る人にも聴く人にも大人気の、すばらしくエキサイティングな『サンバ・デ・ラ・トーレ』の作曲者でもあります。これは、カレン・ヒルトンMBEの個人的なお気に入りでもあります。

 

ビル・ヘイトン                                 ドラム

bill hayton biogロンドン生まれのビルは、子供の頃にハルに引越しました。11歳の時、ハルの青少年音楽サービスを通して、ドラムとテューンド・パーカッションを始めました。リーズ音楽大学の卒業前に、ビルは、ハル市青少年スゥイング・オーケストラ、吹奏楽団で演奏し、シンフォニー・オーケストラでは、セクション・リーダーも務めました。

リーズで勉強中それから卒業直後は、ブリッグハウス・アンド・ラストリック、グリムソープ炭鉱、ハモンズ、ブラック・ダイク・ミルズなど、ビルの仕事は吹奏楽団中心でした。この当時の顕著な出来事としては、ロシア、リトアニア、スイスへのツアー、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールやケンウッド・ボールでのコンサートや大会、そして3枚のCDの収録などが挙げられます。

それ以来、ビルの経歴は、カバー、ロックバンド、クルーズ、海外のツアーなど多種多様にわたります。ミュージカルでは、『ミス・サイゴン』、『ウエスト・サイド物語』、『ドクター・ドゥリトル』、『フル・モンティ』、音楽監督としては、『メイク・エム・ラフ・コメディ・ツアー (Make ‘Em Laugh Comedy Tour)』、『ザ・ロックンロール・イヤーズ (The Rock & Roll Years)』、ロイ・オービソンのトリビュート・バンド『ディス・ロンリー・ハート (This Lonely Heart)』などに携わりました。

ビルはこれまでに、20回以上「冬シーズン」に携わりましたが、その大部分は、ロス・ケンプ、レズリー・グランサム、ジョー・パスカール、ポール・ダニエルズ等のよく知られた有名人と一緒に、音楽監督として仕事をしたものでした。

ビルは、2003年にエンプレス・オーケストラに入団し、2004年のエンプレス・ダンス・バンドの結成団員にもなりました。ビルの専門知識と拍子取りは、オーケストラの改善そしてその世界クラスの名声のためにも、なくてはならない要素となりました。